本カテゴリは初投稿なのでちょっと前置き。
このカテゴリではワタシが見ている動画の中から、特に思想・哲学・歴史・宗教などの分野で、現代に生きているワタシ達が学んでおくべきことをまとめてくださっているモノを紹介していきます。
歴史上の偉人が生前に経験し、その中から紡ぎだされた様々な思想・哲学は、心が疲れやすい現代の日本人にとって、とても大きな学びがあるモノばかりです。
色んな偉人の色んな考え方を識れば識ればるほど、今も昔も人間は変わってないなぁ・・・と思えますし、少しでも心を穏やかに、自分が幸せに生きていけるようにするための考え方を追求してきたのだなぁ・・・と言うコトが理解できます。
こういう動画、一日一本見ていくだけで人生全く変わってくると思います。
ワタシがこういう動画を見始めたのはこの二年ほどですが、もっと早く知りたかったですネ。
で、今回紹介の動画はその一つ。
アバタローさんのユーチューブチャンネルの中から兼好法師の「徒然草」を紹介します。
こちらのチャンネルでは、古今東西の名著をラジオ感覚でその時代や著者の背景も語りつつ、わかりやすい解説を交えつつ紹介されておられます。
とても良い声で聴きやすく、余計な価値観の押し付けなどもないので、スッ・・・・と聴くコトができますよ。
「徒然草」が書かれたのは今から700年くらい前。鎌倉時代末期に書かれているにもかかわらず、現在に生きるワタシ達が識っておくべき考え方が多く詰まっています。
ポイント
仕事や人間関係のストレスに苦しんでいる方
他人と自分を比べてしまい、落ち込みやすい方
いつも忙しくて気持ちに余裕のない方
感情のコントロールが苦手な方
にオススメ。
動画を見て個人的に伝えたいこと
SNS時代の今だからこそって内容です。
毎日毎日無理やりたたきつけられてくる情報や感情の波に対して、どのような姿勢でいればよいのか?どう考えればよいのか?
そういったことを、膨大な人間観察や経験の中から「こうすりゃ楽だよ」って教えてくれるような内容ですね。
また、素直に受け止めることや過度に期待しないことなど、本当に色々な受け止め方について教えてくれています。
ご本人、色んなストレスを感じておられたのでしょうね~。
過度な依存や期待をしないことが大切
何かに期待してそれが裏切られたとき、「裏切られた!」って感情が強くなってソレを攻撃したりしますが、そういったことはあんまし意味ないよー。ってコトですよ。
楽しみなのはわかるしそこに期待する気持ちも理解できるのだけど、ソレって期待される側に対して一方的に自分が寄せてる想いなんですよね。
なので、期待されている方は別に「あなたの期待にだけ応えるためにこれやってんじゃない」し「別のもっと多くの別の期待を寄せている人達に対して発信しているのかもしれない」ので、その辺を考えることができるようになってくると、余計なストレスを感じなくてよくなりますよ。
あと、「期待を裏切られた!」って思う人の数が多ければ、その割合が全体の数%しかいなくても、その想いが集まるといかにも「それが大多数の人が自分と同じ意見だ」って勘違いすることも多いので、注意が必要です。
何か新しいことをやろうとするとき、あんまり周りの目を気にせん方良いよ
何か新しいことに取り組むとき、結構周りの目や評価が気になるものです。評価されるのかされないのか?批判されないか?ほかの人はもっとうまくやっているのに・・・。
っていう気持ちは誰しもが持つものですが、誰でも最初は素人ですし、その分野の才能があるかもわからない。
また、上には上がいるなんてのも当然のコトなので、そこまで「上」や「周囲」を気にせず「好き」「やってみたい」って気持ちがあるなら思い切って一歩踏み出してみちゃえ!と。
ただ、慢心や「自分が人より優れている」っていう気持ちはご法度。
ワタシは根が小心者なので、結構こういう言葉には勇気をもらっています。
ちゃんと「これには注意しなさいな」って教えてくれているところも、とても学びになりますね。
別に周りに評価されなくても、「自分がしたい」って思うのであれば、継続してきゃ良いのですね。
自分の時間を大切に
生き方についても説いてくれていますね。自分の生活において何が大切で何が必要ないか。
自分が大切だと思っているものだと考えていても、「心穏やかに、豊かに暮らす」という大きな視点で考えてみれば、実はそれはたいして重要なことではない・・・と。
色んな欲求や問題が折り重なっている現代において、ここまで達観するのは難しいですね。
例えばの話、縄文時代だって幸せに暮らしていた人は大勢いたでしょうし、逆にあらゆるものが豊富に存在する現代において、幸せを感じずに生きている人は大勢いるでしょう。
そう考えると、ある意味ですが、穏やかに暮らそうと思うと、今繋がっている自分の心を(悪い方向に)揺らすものを断ち切っていき、自分が幸せを感じる範囲の社会の中で生きるってのも、結構よいのかもしれませんね。
(田舎に引っ込んでスローライフとか、モノを持たないミニマリストさんなんかはそうなのかも?)
う~ん、これはが何より難しい。。。
自分なりの考えとしては、例えそれが人生を心穏やかにすごせなくするものだとしても、「それを自分がやることが使命と感じるか?具体的に自分がそれをすることを、自分自身がストレスなく、もしくは悔いなく取り組めるか?それをやり切った時に満足して死ねるか?」ってコトを大切にして生きていきたいかな?って思いました。
大切なものを老後に回していませんか?
ゴフウッ!となりましたよ。でも、これについてはちょっと持論アリ。
死を意識することってのは、独立した時から感じることが多くなりましたし、自分のやりたいコトを老後に回そうとしています。
兼好法師が生きていた時代と比べると、老後の期間は長くなりましたし、必死に生きてきたからこそ、自分の価値観を軸にしつつ、異なった価値観を受け入れたりできるし、今の現状がどれだけ満たされているのかということを実感できるというものです。
なので、もし明日自分が死ぬとしても、これまでの歩みに満足し、それに自信が持てるのであれば、自分のやりたいことをやれなくても、それが途中で終わるのだとしても、「満足ある死」を迎えられるんじゃないかなぁ・・・とか思います。
もしそうでないのなら、自分は死を迎えるときにどのような状況なら悔いがないかなぁ?ってコトを考えてみるとよいかもしれませんね。
コメント