"多視点で考える”。
これはワタシが何か物事に対して判断する際、常に意識していることです。
個人的には"多視点思考”って呼んでるのですが、これはワタシの造語なので似た言葉はあるかもしれませんが、初見だと思います。
で、これは何かと言いますと・・・
発生した物事には必ず原因と結果があり、そこには複数の立場・目的・意思を持った人間が絡んでいます。
ですので、最低でも対立した意見を持っている両極の立場、可能であれば、そこに絡む複数の人の立場・状況・結果をもたらした経緯など、なるべく多くの要素を加味した上で、そこに登場するなるべく多くの登場人物・組織等の主観的視点で思考し、さらにその思考を客観的に観察・分析・考察していく方法です。
これをなるべく行っていくことで、直接的な人間関係の中で受けるストレスや、自分の周りで起きた人間が関係する出来事に対して生じるストレスを少なくする一助になります。
“多視点思考”の例をサブカル作品で例えると・・・
「盾の勇者の成り上がり」(アニメ版)で説明していきましょう。
※当たり前ですが、作品・作者様は何らワタシともこの多視点思考とも関係ございません。
あくまでわかりやすい事例として挙げているだけなので、登場人物名は伏せていきます。ご注意を。
あの作品の主人公って、最初に思いっきり冤罪をかけられます?
この時、その経緯を見ている読者・視聴者からすると「おいおい、なんでこれに騙されるの?誰か姫さん疑えよ」となります。
これは、客観視です。
まぁ、あそこまで露骨だと流石に怪しいなと思うでしょうが、こういう出来事がいざ現実で起きた場合、結構な数の人が主人公に対して攻撃をかけていきます。
twitterやユーチューバーの炎上、政治家の不祥事、芸能人のスキャンダルなどは、そのわかりやすい典型例ですね。
詳細もわからない、本当にその人が問題を起こしたのかもわからない。しかも自分には直接的に何の関係もない人間たいして罵詈雑言を浴びせていきます。
回ってきた情報・目の前で起きた出来事に対して、その場で得た情報だけを鵜呑みに、または反射的に判断して「悪い」とされている方を批判・非難したり、その情報を拡散していく・・・。
結果、誤った情報の拡散に協力してしまったり、無関係な他者を攻撃してしまったり、その後の自分に関わる判断を誤ってしまったりするワケです。
これ、自分が不利益をこうむるだけならよいのですが、SNSによって人の意見が特定の方向に流れやすくなっている昨今、一歩使い方を間違うと、人を殺してしまったり、人の人生をブチ壊してしまったりと言ったとても酷いコトに加担してしまう可能性があるので、本当に注意が必要です。
ここ数年でも、悲しい実例が多々ありますよね。
さて、「盾勇」のシーンに話を戻して"多視点で考える”方法の手順を見ていきましょう。
この考え方の場合、まず「客観的視点」を使い、関連する人間や勢力、それぞれの視点や立場・目的を洗い出していきます。
そして、主人公の視点・王様の視点・王女の視点・他の勇者の視点・他キャラクターの視点に立ち、を「それぞれの視点の人間が主観的にどう考えるか?考えたか?」と「客観的にはどうすれば良いか?」を考えていきます。
なので、「主人公の立場」だったら「武器屋の親父に話を聞いてくれ」って切り出したら何とかなったかもしれないし、「王様の立場」だったら娘を盲目的に信じるべきではなかったし、「他の勇者の立場」だったら、あの中では一番客観的な立場に立てたであろうはずだから、もっと別の可能性はないか?と、その場で進言しないまでも、王女のその後の言動や主人公の性格や考え方などを観察した上で判断していけば、「王女の立場」以外の立場の人間は、あの冤罪をもっと早くに問題を解決できていました。
また、あの問題を早期に解決できていたら、主人公の王女や王様に対する憎悪も少なくてすんだので、彼らへの仕打ちももっと軽いものになっていたでしょう。
まぁ・・・そんなことになったら奴隷商との出会いもなかったでしょうから物語としてはものすごく面白くなくなるのですがw
逆に、「王女の立場」だったらいずれボロが出るような冤罪のかけ方だったので、もっと他の勇者の懐柔にも力を割くべきだったし、武器屋の親父への対処もしておくべきだったし、主人公の動向にはもっと注視して、力を持つ前に対処しておく必要があったワケです。
そうすれば、自分の立場が脅かされることは無く、主人公をドン底に突き落としながら他の勇者や王様を手玉にとり続けれたはず。
簡単ですが、こんな具合に考えていきます。
ここで大切なのは、「冤罪を晴らす」側の立場・方法だけではなく、「冤罪を完璧なものにする」立場・方法も考えることです。
今回の場合は「王女の立場」がそうですね。
“多視点”で考えるので、一方的になってはいけません。
むしろ、自分の目的や考えと相反する目的・考えを持った立場の者の考えについて深く考えていくことが大切です。
とりあえずですが、今回はここまで。
“多視点で考える”・・・、いかがでしょうか?
▼人間は「自分が正しいと思いたい」生き物
人間って生き物は、「自分は正しい」「間違っていない」と考える傾向が強い生き物です。
これは精神を防衛するために人間に備わっている機能の一つですので、人類共通して持っています。
※「自分は正しくない」と思っている人はつまり、「自分は正しくないから人の言うことを聞いてその通りにすることが正しい」と、自己防衛しているワケです。
で、この「自分は正しい」と思うことは間違ったことではないのですが、それが主観的になりすぎていたり、その「正しい気持ち」が過剰になってしまうと、「自分の視点」以外はすべて間違っていると言う認識に囚われてしまいます。
こうなると、周りの意見を聞いても一切耳に入らなくなると同時に、自分の意見が通らないことに対して異常にイラだったりするようになります。
こういう力は時に自分の人生を引っ張ったり、周りの人間に影響を与える「力」になり、突破できたときには大きな「自信」につながります。
よい方向に進めば人生は豊かになり、周りの人間も幸せになりますが、悪い方へ暴走すると、全く逆になってしまいます。
極端な人は「反対意見」は「すべて自分を否定する攻撃」と捉え、過剰に自己主張を展開し、更には相手を徹底的に攻撃するような反応をされる方などもおられます。
これでは話をしようにも話なんて出来ませんし、そうしている本人はそれで自分を守っているつもりなのでしょうが、自分の人生を物凄く狭いものにしてしまっています。
でも、そのことに気付くことは出来ません。
ですので、こうならないように“多視点”で考えるコトをクセつけておくワケです。
ってトコで、今回はここまで。
“多視点思考”・・・いかがでしょうか?
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